修了後の取り組み

第3期修了 馬場拓さん

 第3期修了生の馬場拓です。今回、プロコン育成塾修了後の歩みや直近の活動、今後の抱負についてご紹介させていただきます。 

 正直に告白します。私の20年近い独立コンサルタント人生は、かっこいいサクセス・ストーリーではありません。プロコン育成塾を修了してしばらくして、宮崎で大きくつまずきました。そこから3年間、妻に養ってもらいながらの再出発です。それでも今、宮崎の地で仕事を続けてこられたのは、プロコン育成塾で叩き込まれた「プロとしての志」があったからだと思っています。今回は、その紆余曲折もできるだけ飾らずにお伝えします。

プロコン育成塾を目指したきっかけ

 私がプロコン育成塾の門を叩いたのは、独立した後のことです。大手小売業でアパレル販売を経験し、大阪・船場の卸会社でバイヤーとして6年。その後、中小企業診断士の試験に挑戦し、合格しました。そのまま思い切って独立。ですが、当時の私にあったのは資格だけでした。診断士としての「実力」と呼べるものは、まだ何もなかったのです。もっと本格的にプロとしての志、診断技術、実践力を身につけたい、そう考えていたときに出会ったのがプロコン育成塾(以後、塾)でした。短期間で心・技・体をそろえて叩き込んでもらえる場だと聞き、3期生として迷わず飛び込みました。

結婚、そして宮崎へ

 塾を修了した後、同じ中小企業診断士資格を持つ女性と結婚しました。妻の実家は宮崎県延岡市で衣料品店を営んでおり、経営していたのは妻の父です。ところが、その義父が病に倒れました。夫婦で話し合い、宮崎に帰ることを決めたのです。

宮崎に来て、いきなりのつまずき

 宮崎に移り住んでからは、いったんコンサルタントの看板を下ろしました。妻の実家が営む衣料品店を手伝う道を選んだのです。まずは家業に入り地域に馴染もう、そう考えていました。

 ところが、まったくうまくいきません。経営者でも後継者でもない、中途半端な立場。小売業やバイヤーの経験はあったものの、地方の勝手のわからない小売の現場に入っても、自分の役割が見いだせないのです。悩んだ末、私は退職を選びました。今振り返れば情けない話ですが、これが私の宮崎での本当のスタート・ラインになりました。

ゼロからの営業、3年間は妻に食べさせてもらう日々

 そこから、中小企業診断士としての営業をゼロから始めました。宮崎に実績もコネもありません。知り合いすら、ほとんどいない。塾で学んだ診断技術があっても、それを求めてくれる相手がいなければ意味がないのです。はじめは、宮崎・大分・沖縄など各県の支援センターや商工会議所にプロフィールを持参し、飛び込みで営業に回りました。

 商工会議所の創業塾の講師や専門家派遣、企業調査会社からのご紹介など、仕事は少しずつ増えていきました。それでも、地域の事情を肌で覚え、軌道に乗るまでには3年かかりました。特に初めの3年間は仕事も少なく、経済的にも精神的にも本当にきつかったです。実家の衣料品店に勤務する妻に、半分食べさせてもらう日々でした。

 塾では「専門性を高めよ」と繰り返し教わっていました。そこで、前職の大手小売や大阪・船場の卸会社での経験を活かし、小売・流通に特化したコンサルタントを名乗ってみたこともあります。ですが、宮崎ではそのニーズがほとんどありませんでした。看板だけが、空回りしていたのです。

 そこで一度、専門性へのこだわりを脇に置きました。創業支援のほか、農業立国ならではの農業や畜産業への六次産業化支援も数多く経験しました。もちろん得意の店舗改善支援も行い、目の前で困っている経営者の相談に何でも応える形に切り替えたのです。かっこいい専門性を掲げるよりも、まずは地域で信頼してもらうこと。この決断が、結果的に今につながる転機になりました。

よろず支援拠点10年、気づけば宮崎のベテランに

 地域密着の支援を一件一件積み重ねるうちに、少しずつ声をかけていただけるようになりました。転機のひとつが、宮崎県よろず支援拠点の立ち上げへの参画です。創業から売上拡大、経営改善、補助金申請支援まで幅広い相談にワンストップで応える公的支援機関で、ここに10年間携わらせていただきました。振り返ってみると、この10年間で対応させていただいた相談は8,000件以上。この場数こそが、今の私のコンサルタントとしての土台になっています。宮崎県中小企業診断士協会では副会長も経験させてもらい、気づけば宮崎ではすっかり「ベテラン」と呼ばれる立場になっていました。

直近の仕事、そして2024年、経営者としての再出発

 現在は、事業承継やM&Aの支援、経営改善計画の策定、事業デューデリジェンスや補助金申請支援など、企業のライフステージに応じた伴走支援を行っています。宮崎県産業振興機構のプロジェクトマネージャーとして成長企業の支援に携わる一方、企業調査会社からご紹介いただくコンサルティングや、金融機関からのご紹介による事業再生支援など、民間同士のお仕事も数多く手がけています。エリアは宮崎や大分などの南九州から、一部関西エリアにまで広がっています。毎月の巡回訪問やレポート作成を通じて、経営者の方と一緒に数字と向き合う時間を大切にしています。

 実務の傍ら、45歳の時には一念発起して神戸大学大学院に社会人入学し、MBAを取得しました。現場で積み上げてきた経験を理論としても裏づけたい。そんな想いからです。塾で学んだ「学び続ける姿勢」は、こういう形でも今の私の中に生き続けています。

 そして2024年、私は妻の実家が営む衣料品店「ユアーズコメヤ」の代表取締役に就任しました。コンサルタントと経営者、二足の草鞋を履く生活が始まったのです。診断士として、経営者には「現場との対話が大事です」と説いてきたつもりでした。ですが、自分の店に立てるのは週に1、2回。現場感覚は、思うようには持てません。自分の店が、自分自身のコンサルタントとしての甘さを映す鏡になっている。そう痛感する日々です。それでも、この両方の経験を持てたことは、大きな財産になっています。「自分の店も課題だらけだからこそ、等身大でお客様や経営者に寄り添える」というのが、今の私の一番のスタンスです

今後の抱負 繊維の街から、もう一段先へ

 今、力を入れているのが自社ブランド「itohen(イトヘン)」の展開です。天然素材、国内生産。40代から60代の女性のお客様に向けた衣料品を、ユアーズコメヤの店内で展開しています。祖母の代の糸屋、母の代の大阪・船場でのアパレル卸、そして私自身の量販店・卸バイヤーとしての経験。三代にわたる繊維業界とのつながりを、このひとつのブランドに込めています。商品企画は妻が中心になって担ってくれており、コンサルタントと経営者に加えて、夫婦二人三脚のブランドづくりという、もうひとつの顔もできました。

 今後の抱負は、このitohenを軸に、関西への展開を1〜2年以内に本格化させることです。将来的には、繊維産業に特化したコンサルティングとitohenブランドを一体で展開する体制、いわば「itohenホールディングス」のような形の構想を作っています。

後輩の皆さんへ

 塾で学んだことを本当に活かせるかどうか。それは正直なところ、修了後の本人次第だと思います。独立してからのほうが、塾での学びよりも何倍も大変です。ただ、その厳しさを早いうちに、仲間と切磋琢磨しながら経験できる場がプロコン育成塾なのだと、今振り返って強く感じています。

 私自身、遠回りだらけの歩みでした。それでも塾で学んだ「志」と、そこで出会った仲間や先輩方の存在が、何度も踏ん張る力になりました。同期や先輩・後輩の皆さんとも、こうした場を通じてこれからもつながっていけたら嬉しく思います。

修了生の声ページに戻る